小学生、習字のおはなし
今日はなんの話をしようか。
少し昔話につきあってもらおうかな。
なに、ちょっとした昔話さ。すぐに終わる。
今でもまだあるのだろうか?
それは小学校二年生の習字の時間。
ちなみに習字というものは右利き仕様であり
左利きの私にとって、それだけでハンデがあるものだった。
それもあって、とくべつ嫌いというわけではないが
右利きの人間に比べてそれはストレスがかかるものであった。
さらに消しゴムで消せないから修正できず
一発勝負というところも緊張を強いられるものだった。
余談だが、“利き腕”というのは当時から厄介なもので
祖父と会ったときにもそれなりに差別されたのだが、これはまた別のお話。いつかまた、別のときに話すことにしよう。
ちょうどお昼休みが終わった直後、5時間目のことだった。
小学校低学年の子供の、お昼休み直後。
休み時間感覚が抜けておらず、集中力もきれたころ。
つまり
教室内は
とても
騒がしかった。
周りがうるさくて
うるさすぎて。
両耳から入った周りを気にしないおしゃべりや奇声が
クラスじゅうの音という音が
頭のなかに遠慮なく吸いこまれて。
頭蓋骨のうちがわでみんなの声が反響して
どうしても集中できなくて。
それでも半泣き(という名の本泣き)になりながら
頑張って取りくんでも、どうしてもできなくて。
まぁ、小さな音が気になるのは
発達障害の傾向があるとか、むしろ天才肌だからだとか。諸説あるけれど、これはまた別のお話。いつかまた別のときに話すとしよう。
そんなこんなであっという間に授業の50分は過ぎ去ってしまった。
習字セットをまえに、涙をこぼしながらひたすら固まりつづける
わたしをうまく避けながら
帰りの会を終え、掃除をすませる。
…クラスメイトがいなくなった教室。
喧騒は去り、ひたすらの平穏がおとずれていた。
さて。
居残りでひとり、静かな教室のなか、右手で筆をとり、半紙に墨をすべらせていく。
するとどうだろう。10分もしないうちに書き終え
自分でも納得のいく作品を仕上げて
あっという間に帰った。
それだけのこと。
いや、なに。ものごとを行うのには環境は大事だと、そう伝えたかったんだ。