思い出、過去の記憶
いよいよ年内最後の月にはいったね。
個人的に12月はいろいろと思い入れのある月だ。
クリスマスや年末ということもあるが
私にとっては大切な人の誕生月であり、忌月でもあるからだ。
大切な人が亡くなった年、その人の白い骨を抱えながらこう思った。
この日を忘れない。
でもどんなに努力しても記憶はやがて薄れてしまうだろう。
それでもこの日を忘れたくない。
それを形として、習慣として残したい、と。
そこで忌月は喪服で過ごしたいと考えているのだが
この日本国内において、日常生活を送るにあたって、色々と不自由が生じてしまう。
どんな不自由が生まれてしまうのかは、これまた別のお話。いつかまた、別のときに話すとしよう。
さて。そこで私はひとつ妥協して、全身黒い服で過ごそうと考えた。
しかしそこでも問題が。
私はそもそも黒い服をあまりもちあわせていなかったのだ。
あらたに買い揃えようとも考えたが
当時、お葬式、家族間トラブル、引越し、学費、生活費…
数々の出費に悩まされ続けていた低所得庶民の私は、そもそもお金がなかった。
悲しいけれど、事実は事実。
それでも黒い服で過ごすことは
気持ちの区切りとして、自分自身のために必要だと思った。
どうしても諦められない。
自分の中で納得がいかないんだよね。
けっきょく、最終的にはその日着る服のどこか一枚
カーディガンだったり、タイツだったり、シャツやマフラー、ズボンを
黒い服にして過ごすことで落ちついた。
今ではこれでよかったのかなって、少し思っている。
忘れないことはいいことかもしれないけれどあまりに徹底してしまうと
故人にとらわれすぎてしまうから。
亡くなった人にとらわれすぎてしまうと、いま
生きている自分自身も影響されて支障がでてしまうから。
自分の人生をしっかり生きていこうと思ったら
どんなに頑張ってもあの時の記憶も思い出も、ぜんぶもっていくことはできないのだから。