Secret Window,Secret Room

ここ は わたし の ひみつ の ばしょ

オンラインサロン、初体験


ここ一ヶ月ほど、ある新しいことに挑戦していた。


知る人ぞ知る

メガバンクの銀行員ブロガー 小林亮平さん という方のセミナーに行き

その特典の一ヶ月無料オンラインサロンに参加していたのだ。

 

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ペンタゴンは小林さんのブログのマスコットキャラクター


ちなみに。そのオンラインサロンというのはセミナーに当選した人限定で参加できるものだったんだ。

 


なんでまた急にそんなものに参加する気になったのか。つながりはいっさい全くなんにもない。

 

きっかけはTwitterで流れてきたペンタゴン(小林さんのブログのマスコットキャラクター)が可愛いくて興味をもったこと。


そしてその流れでブログをながし読み。その中であるページにたどり着く。


小林さんの生い立ちというか、ブロガーになったいきさつ。


その中に出てくるある言葉が私にひっかかった。


「丸の内」「銀行」「うつ(病)」


この言葉は私を動かすのには充分すぎるものだった。


なぜならば、私の兄は「丸の内」の「銀行」でプログラマーをしていて「うつ」病になって最終的には首吊り自殺をしたからだ。

 

だから、単純に興味をもった。


ブログも資産運用も、ぜんぜんわからなかったけれど。


ただ、この小林亮平さんという人に会ってみたくて


参加してみた。

 

ブログにも書いてあったし。ただ会ってみたいってだけの人もセミナーに参加OKだって。

 

だから。勇気を出してスマホのボタンぽちー。

 


そしたら運良く当選できて、セミナーに参加して。オンラインサロン、参加しちゃいますか…?

 

 


……参加しちゃいましたっ!!

 

……


さてはて。


セミナーはともかく「オンラインサロン」というものは人生でも初体験だった。


まず「サロン」というものの概要がわからない。

 

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「お紅茶でも飲みません?」…適当なイメージ。


「サロン?17、8世紀ごろ欧州でやっていた美術のあつまり的なやつ?」くらいの認識しかない。なかった。ぐぐる


ふむふむ…??


言語による説明での理解はできても、全体の把握ができない。要するにどんな感じなんだろう…。


調べれば調べるほど、主宰者によって勝手も雰囲気もぜんぜんちがうようで…。


こればっかりは実際に一通り体験してみないとわからないものだと思った。


なのでここではあくまで私が体験したものを記述することにしよう。

 

……


今回は少人数(だったみたい)ということもあり、小林さんのオンラインサロンは

・「LINE」の「グループチャット」機能 を使って行われた。


私はそもそもLINE機能(さらに言えばTwitter機能も)をよく把握しておらず、いろいろ手間取りまくって参加が一日ほど遅れた。

なので、私が参加したときメンバーはだいたい揃っていて、私はあとから追加、という措置をとっていただいた。


あらかじめLINEのトーク画面の右上にメモのような画像(ノート)があり

そこに

・各自己紹介と

・オンラインサロン(グループチャット)内のルール

が記載(作成)されており、

チャット(メンバー同士のコミュニケーション)を始める前に目を通しておくことを主宰者(小林さん)の方に

やさしく諭される。

 

ふむふむ…。


……

ここから「オンラインサロン」の感想。


主宰者&メンバーの方々の性格や方向性にも左右されるものだと思うがこのサロンは


終始なごやかなやり取りがくり返されていた。


ちょっとはあるのかなー、なんて思っていた炎上や荒らしなんてもってのほか。

 

基本的にはやっぱり資産運用とブログ運営のサロンなので


「ブログ書いたので、チェックお願いします」とか「オススメの旬ネタありますか」(言葉は全然違うよ)みたいな。


でも雑談も許可されていたので「ここで食べてきましたー」(お寿司/画像)「美味しそう」的なやりとりもあって


読んでるだけでも楽しかったし、勉強になった。


難点を挙げるとしたら専門用語(に、見える)や知らない言葉がポンポンとびかって


意味を調べている間にどんどん会話が流れてしまうくらいとても活発なサロンということくらいでしょうか。

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素人の私は読んでるだけで手一杯。


各方面にとても造詣が深い方がそろっていて


「こんなアプリあるよー」とか「この記事おすすめ」みたいにいろいろ紹介してくださるのですが、試してみるも数が多く追いつかず。無念。


……


終わってみてちょっと思うことは、もっと専門的な知識を身につけた上で会話に参加したらもっと楽しめたのかな、ということ。


基本的に(主宰)小林さんはレスポンスが非常に早い&方向性の提示が的確なので、なにかブログに関することとか


行き詰っていることがあったらさくさく提案をいただけてポンポン解決出来るんじゃないかと思った。

 


参加してわかったこと。少なくともいまの私には稼ぐことを目的としたプログ運営はむいていないかな、ということ。


セミナーとオンラインサロン参加しておいてこんな結論に至るのもなんだか情けないような感じだけれども。

 

 

ああ。でも、ほら。

 

聞きたいことがあってもなくても。

 


とくにブログの運営とか、そもそも資産なくて運用なんてしてなくても。


そんな初心者どころか入門者の私でも楽しめたのだから。

 


本当に誰にとっても、とても参加しやすい居心地の良いサロンなんだったんじゃないかと思う。ふり返り。

 

うん、楽しかった。


……


ここから「人」の感想。


いちばん最初の願い、小林さんに会ってみるということは叶えられた。


会ってみて、どうだったのか。

 

親切だった。お人好しではない。まわりに気を遣いつつ、きちんと締めるところは締める。しっかりしている人。そんな感じ。


だから、ひとりの人間としてきちんと生きているひとつの参考にはなると思う。


もっとも、それは小林さんに限らず、サロンに集まっていた人たち皆にいえることなのだと思うけれど。

 


人生に行き詰っていたり、脳みそがうまく働かなかったり。


たったひとつでも共通点をみつけたり。参加したいきっかけが周りから見て「それだけ」と言われるような理由だったとしても。それで充分。

 


「人に会うこと」がきっかけでものごとを動かす力がでてくることもあると思う。


なんていったらいいのかな。伝わるような、伝わらないような。

 


もしブログやTwitterで小林さんのセミナーなりサロン開催の情報が流れてきたら「とりあえず」でもいいから参加してみるといいと思うよ。


まずは行動に移してみたらいい。


その行動はきっとあなたの人生に「なにか」を残すものになるはずだから。

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にこにこ笑いながら胸元に抱っこされているペンタゴンが印象的だった。かわいい。





追記:いま現在 小林さんのブログアカデミー(オンラインサロンのこと)は期間限定&不定期での運営を行っているようなので
オンラインサロンの情報を逃さないようにするにはTwitterでフォローするのが一番てっとりばやいと思うよ。

 

【宣伝】さぁ、小林良平さんをTwitterでフォローしようか…(*´▽`*)しよう?

思い出、過去の記憶


いよいよ年内最後の月にはいったね。


個人的に12月はいろいろと思い入れのある月だ。

 


クリスマスや年末ということもあるが


私にとっては大切な人の誕生月であり、忌月でもあるからだ。

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大切な人が亡くなった年、その人の白い骨を抱えながらこう思った。

 

この日を忘れない。

 

でもどんなに努力しても記憶はやがて薄れてしまうだろう。

 

それでもこの日を忘れたくない。

 

それを形として、習慣として残したい、と。

 


そこで忌月は喪服で過ごしたいと考えているのだが


この日本国内において、日常生活を送るにあたって、色々と不自由が生じてしまう。

どんな不自由が生まれてしまうのかは、これまた別のお話。いつかまた、別のときに話すとしよう。

 


さて。そこで私はひとつ妥協して、全身黒い服で過ごそうと考えた。

 

しかしそこでも問題が。

 

私はそもそも黒い服をあまりもちあわせていなかったのだ。

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あらたに買い揃えようとも考えたが


当時、お葬式、家族間トラブル、引越し、学費、生活費…


数々の出費に悩まされ続けていた低所得庶民の私は、そもそもお金がなかった。

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悲しいけれど、事実は事実。

 

それでも黒い服で過ごすことは


気持ちの区切りとして、自分自身のために必要だと思った。


どうしても諦められない。


自分の中で納得がいかないんだよね。

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けっきょく、最終的にはその日着る服のどこか一枚


カーディガンだったり、タイツだったり、シャツやマフラー、ズボンを


黒い服にして過ごすことで落ちついた。

 

今ではこれでよかったのかなって、少し思っている。

 


忘れないことはいいことかもしれないけれどあまりに徹底してしまうと


故人にとらわれすぎてしまうから。


亡くなった人にとらわれすぎてしまうと、いま

 

生きている自分自身も影響されて支障がでてしまうから。

 

 

自分の人生をしっかり生きていこうと思ったら


どんなに頑張ってもあの時の記憶も思い出も、ぜんぶもっていくことはできないのだから。

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高校生、秘密のノート

 

今日はなんの話をしようか。

 

寒くなってきたよね。うん、そうだね。 

 

少し昔の話をしようか。 

 


「周りの空気を読む」という言葉がある。

 
何かをやって、思っていたよりも早く終わってしまったことはないかい?

 

 

当時高校生だったわたしは選択制の高校に通っていた。


家庭科系の授業を選択もしており、その日はマフラーを一本編むという授業だった。


授業は一科目120分。

 

毛糸の糸が太めということもあって、あっという間に編み終えてしまった。

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ふと、授業の残り時間をみると一時間半くらい残っている。

 

まわりを見渡すとまだまだ熱心にマフラーを編んでいる真っ最中だった。

 


一瞬、事態が理解できなかったが、どうやらわたしは

 

マフラーを編み終えるということを他の人よりも早くできてしまったらしい。


しかし、わたしはその事実を受け入れることがなかなかできなかった。

 


なぜか。


それは、この学校においてわたしは劣等生のはずだったから。

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劣等生がこのクラス内の優等生を差しおいて

何かを早くやり遂げたり、より高い点数や成績をとってはいけないと思っていたから。


そしてなにより「空気を読まない」と、怒られると思ったから。

 

先生がわたしを注意して、注意したことを親に言って、親がわたしを叱るから。

 

「なんでお前はおにいちゃんたちみたいに普通にできないんだ」といって殴ると思ったから。

 

 


……


そうしてわたしは残りの授業時間をどう過ごそうかと思案する。

 

当時はスマートフォンはおろか、携帯電話(フューチャーフォン)も持っていなかった。

そもそもお金のかかることは親が決して許さなかったし、同意も決して認められなかった。

 

家庭科の時間だから、歌をうたうわけにもいかない。

なにより、歌えばすぐにバレる。

 

手頃な本を読もうにも本はロッカーの中にあり、

暇だから席を立って本をとってきてもいいですかと言ってしまうといよいよ本末転倒になってしまう。


それじゃあ…

 

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…絵を描こうか。

 

ノートはない、机はある。

 

机の、木の板に描こうか。

 

でも鉛筆を使うと消しゴムで消さなければならない。

 

汚したら何をやっているんだと怒られる。

 


…そうだ、それならば。

 

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指を一本、机の板の上にすべらせて、線を描いていく。

 

線は板の上にとどまらず、2次元上にもとどまらず、生き生きと踊りはじめる。

 

 

こうやって、よく余った時間を頭の中のスケッチブックに描いていた。

 


誰も知らない。誰にもないしょ。

 

誰にも汚されない、わたしだけの秘密のノート。

 

 

それから何年もたってその頭の中の作品を誰かに見てもらいたいと思うようになったのだけれど、
それはまた、別のお話。いつかまた、別のときに話すとしよう。



子供、むかしの記憶


同年代の人が子供の寝顔が愛おしくて

やすらかに眠るこどもにキスをしたそうだ。


とても幸せそうに、とても仔細を語るその人。

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なんとも微笑ましい、愛し合う家族のワンシーン。

慈しむべき光景だと思う。


しかし。

同時に血を吐き出しそうなほどの羨ましさに悩まされる。

 

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本当に、この人には幸せになって欲しいと

この人の子供には幸せになって欲しいと思うのにひどく、妬ましくなる。

申し訳ないほどに。


そして、それを必死におおいかくそうと努力する。


私がここまで親からの愛情表現に対して過剰なまでに敏感になるのには心当たりはあった。

 

 


こんな思い出がある。

 


そもそもわが家の父親はあまり家に帰ってこない人だった。


父親が帰ってくるような時間帯まで子供が起きていると「早く寝なさい」と殴られる。


殴られるのはいやだから、子供たちは早々に部屋に閉じこもる。


だから接触がない。接触がないから、お互いに相手を知る機会もない。

 

とうぜんの結果として、わたしたち子供たちにとって


父親というものはよくわからないものになっていた。

 


ある日のこと。


家でねむっていたら、いきなり頭に衝撃を感じて目を覚ました。


目が覚めたけれど一体何が起こったのか、何故ねむっていたはずなのに起きてしまったのか、理解できない。


必死になって現状を把握しようと神経をとがらせていると、父親が廊下を歩いて遠ざかるスリッパの音がきこえた。


一緒にねむっていたくまのぬいぐるみを抱きしめ、布団のなかに縮こまりながら


なにも聞き逃すまいと、耳を澄ませる。


と、ドアを開け、足音が長男のねむっている部屋に入る音が聞こえる。


次の瞬間…人の頭を殴る、にぶい音が聞こえた。


そのまま、またスリッパの音…。次は次男の部屋のドアを開ける音、そして…

 

こどもの頭を殴るおと。


…そこまで聞いて、私の頭はようやく理解した。


(あ。おとうさんに殴られて、目をさましたんだ)


静寂が心なしかはりつめていて、暗闇のなかで怯える私をおおっていた。

 

 

何故、父親がねむっている子供たちを急に殴っていったのかはわからないし、知らない。


ただ言えるのは、わが家の父親は気分が変わったりなんとなく、で


よく子供たちをサンドバックにしていたので、理由はなんでもいいのだと思う。

 


数年後に兄妹間でとうじの記憶合わせをしていると


子供がねむっている隙に父親がなんども子供の頭を殴っていく、ということはかなり幼い(古いもので3歳)頃から


たびたびあった出来事らしい。

 

 

……


だから未熟な私はつい自分と比べてしまい、どうしてそこにただ存在するだけで殴られる子供と

やさしくキスをして愛される子供とに分かれてしまうのか、憤りと痛みを感じずにはいられなくなってしまうのだろう。

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普通の幸せを目の当たりにして、はげしい劣等感と不公平を感じてしまうのは、本当に、とても申し訳なく思う。

 

でも、もう私のカテゴリーは「大人」だ。

 

それとこれとは話は別物。

 


情けないことに私の中のこどもの私、インナーチャイルドはどうやらまだ懲りずに愛情を求めているらしい。


きっかけひとつでいきなり暴れてなき叫ぶ私のインナーチャイルドさんを、私は頑張って、なぐさめる。

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小学生、いじめっ子のおはなし


今日はなんの話をしようか。


少し昔の話をしようか。


小学四年生の時にいたいじめっ子のお話だ。

 

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昼休みに入ったある日のこと。


ニシムラくんという男の子が女の子をいじめていた。

なぜいじめと思ったか。


どうやら暴言をくりかえしていたらしく、クラスの女の子はすごく嫌そうに


泣きそうになりながら「やめて」と繰り返していたからだ。

 

壁においつめられて男の子に暴言を吐かれているその様子は


「クラスの女の子が同じクラスメイトの男の子にいじめられている」


少なくとも通りすがった私にはそう捉えることしかできないものであった。

 

「これは、いじめだ」「いじめは、いけないこと」「助けなきゃ」


瞬間的にそう感じて体と口が動いていた。


「やめなよ、なんでそんなことするの」


深くは考えていなかった。


ただはやくその場をやめさせなきゃ、という気持ちでいっぱいだった。


だから次の瞬間、反射的にかえされた言葉を正面から受け止めて、私は深く傷ついたらしい。


「うるせぇメガネザル」

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「メガネザル」ってお猿さん、いますしね。

この場合、発せられた言葉の意味が問題なわけではなかった。


何故なら当時からわたしはメガネをかけていたし、


人類はそもそも霊長類というカテゴリーでお猿さんは親戚といえるような存在と理科の授業で習った。


それは事実の羅列である。

 

だから何だろう、と。

 


そうではなかった。わたしはニシムラくんの言葉にのせられた悪意に傷ついたのだ。


何故、この少年は人を傷つける言葉をこんなにも容易く扱い、


何故、こんなにも沢山の人々を傷つけるのだろう。


人を傷つけることは代償、無意味さ、虚しさしかないのに


何故それでもあえてなお、このいじめという行為を行うのであろう、と。


彼の行為の理由がわからず言葉の刃を身に受けつつ


ただただ起こってしまった悲しい出来事に涙を流しつづけた。

 


父母から日常的に虐待を受けつづけていた分、人間の「痛み」に敏感になっていたのだと思う。

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なにがいけなかったんだろう。

そして、わたしはどうすればよかったのだろう。

 

今ならわかる。


まず問題点としてあげられるのは

わたしが

 

ニシムラくんと自分自身のパラメーターを正確に把握していなかったこと

だろう。


当時のわたしは小学生は同じ歳なのだから大体みんな同じ能力を持っていると思い込んでいた。

 

だから、お互いに理解を深める目的を持って話しかければ

 

相手は人の話を聞いてくれるし解りあえると思い込んでいた。

 

自分ができる、汲みとれるようなことはすべて相手もできるものだ、と。 

 

しかしそれは間違いだった。

・ニシムラくんはそこまで情緒が発達した人間ではなかったこと
・ニシムラくんはそこまで周りの人間を観察したり、気を使ったりするような人間ではなかったこと
・ニシムラくんはコミュニケーションをとる際にそこまで対峙する人間に敬意を払い、礼節をわきまえた行動をとる人間ではなかったこと

 

つまりニシムラくんは自分が発したどの言葉が人権の侵害に値する「いじめ」に該当するのかわからなかったのだ。


もっと噛みくだいた言い方をすると「やっていいことと悪いことの区別がつかない」人だった。

悪いことをやっているという自覚症状もないから「謝る」ことを決してしない。


よって、お互いの認識のズレが生じ、両者の認識のズレが修正されないままお互いにコミュニケーションをとり、不毛な結果を迎える。

 

つまりニシムラくんは「こどもだった」のだ。


今から考えると、あたりまえのことなんだけど。

 

 

対処法として考えられるのは

 

まず

三者である権力を持った大人(担任の先生、校長、教頭、養護教諭、保健の先生)を呼ぶ。

 

しかし教師を探している間に2人が移動してしまう可能性もある。その場合、

 

・2人の間に「××先生が呼んでいたよ/探していたよ/だから早く行ったほうがいいよ」と強制的に会話を中断させる。

 

このあたりが無難だろう。

 

 

 

あの時のわたしは涙を流すのに精一杯だった。

ちなみに当時のわたしは一度泣きはじめたら少なくとも2時間はとまらないことで有名な泣き虫で

昼休みは愚か、五時間目の授業中もずっと机にふせって泣いていたんだ。

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いじめられていた女の子から逆に心配されてしまった。いやはや。

 

余談だが、このニシムラくんはこの後小学五年生の時にお家の事情で引越しをして
中学生の時にいじめられて自殺をしたという噂が流れたのだが、これはまた、別のお話。いつかまた、別のときに話すことにしよう。


名前、改名のおはなし


名前を呼ばれることがいやな人間が一定数存在する。

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たとえば私がそうだ。

 

他にも友人に何人か本名で呼ばれることをいやがる人がいる。

本名で呼ぶと、本気でおこる。

 

原因と思われるできごとは人それぞれだが共通している点があった。

 

「実家が関係している」ということ。

 

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私の場合、ふだんは実家では

 

勝手につけらたあだ名やてきとうなかけ声で呼ばれるのだが

 

両親がわたしを怒鳴ったり、殴ったり、叱ったり、蹴ったり、叩いたり、つねったり

 

お勉強会と称して罵倒されたり、つつかれたり、刺されたり…

 


まぁつまり私にとっていやなことをするときに実名を呼ばれた。

 

成人して社会人生活をいとなむうえで、名前を呼ばれるたびにおびえてしまう。

そして同時に申し訳なくなる。

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こればっかりは本人の努力うんぬんでどうにかなるものではないというのが

実体験をとおしての私の感想だ。

 


そこでなんとかならないものかと少し調べてみたのだが

 

どうやら改名の手続き自体は家庭裁判所に書類を提出、審査を受ければできる(申請がとおるかは別として)らしい。

なるほど。

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…つい最近まで「お前をまるごと奪ってやる」とかのたまうような王子様が
「俺のものになれ…」「……はい(キュン)」とかいいながら苗字を変えることを夢みていたりしたのだが(えぇ…)

まぁ、これはまた別のお話。いつかまた、別のときに話すことにしよう。

 

小学生、習字のおはなし


今日はなんの話をしようか。

 

少し昔話につきあってもらおうかな。

なに、ちょっとした昔話さ。すぐに終わる。

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今でもまだあるのだろうか?


それは小学校二年生の習字の時間。

ちなみに習字というものは右利き仕様であり

左利きの私にとって、それだけでハンデがあるものだった。


それもあって、とくべつ嫌いというわけではないが

右利きの人間に比べてそれはストレスがかかるものであった。

 

さらに消しゴムで消せないから修正できず

一発勝負というところも緊張を強いられるものだった。

 

余談だが、“利き腕”というのは当時から厄介なもので
祖父と会ったときにもそれなりに差別されたのだが、これはまた別のお話。いつかまた、別のときに話すことにしよう。

 

ちょうどお昼休みが終わった直後、5時間目のことだった。


小学校低学年の子供の、お昼休み直後。


休み時間感覚が抜けておらず、集中力もきれたころ。

 

つまり


教室内は


とても

 


騒がしかった。

 


周りがうるさくて


うるさすぎて。


両耳から入った周りを気にしないおしゃべりや奇声が


クラスじゅうの音という音が


頭のなかに遠慮なく吸いこまれて。

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頭蓋骨のうちがわでみんなの声が反響して

 

どうしても集中できなくて。

 

それでも半泣き(という名の本泣き)になりながら

頑張って取りくんでも、どうしてもできなくて。

 

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まぁ、小さな音が気になるのは
発達障害の傾向があるとか、むしろ天才肌だからだとか。諸説あるけれど、これはまた別のお話。いつかまた別のときに話すとしよう。

 

そんなこんなであっという間に授業の50分は過ぎ去ってしまった。


習字セットをまえに、涙をこぼしながらひたすら固まりつづける

わたしをうまく避けながら

帰りの会を終え、掃除をすませる。

 

 

…クラスメイトがいなくなった教室。


喧騒は去り、ひたすらの平穏がおとずれていた。

 

さて。


居残りでひとり、静かな教室のなか、右手で筆をとり、半紙に墨をすべらせていく。

 

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するとどうだろう。10分もしないうちに書き終え


自分でも納得のいく作品を仕上げて


あっという間に帰った。

 

それだけのこと。

 

いや、なに。ものごとを行うのには環境は大事だと、そう伝えたかったんだ。